菅原道真公すがわらのみちざねこう #1

九州の北のほうに、竈門山(かまどやま)というお山があります。

そこでは、玉依姫(たまよりひめ)様という神様がたくさんの眷属と暮らしています。

龍女(りゅうじょ)もその一柱です。

龍女は玉依姫様の言葉を人間に伝えるお仕事をしています。

以前は龍女の双子の兄がその役目を担っていましたが、ある日の朝、龍女が目を覚ますと兄は姿を消していました。そのため、龍女が兄のかわりに働いているのです。

双子は、この島国から遠く離れた砂漠で生まれました。

はじめは小さな小さな虫でした。

それから鳥や魚に獣、ときどき人間にもなりました。

双子はたいてい一緒でしたが、生まれる時、必ずしも双子ではありませんでした。

親子、友人、恋人・・・様々な出会い方をしました。

たまに、まったく別の時間を過ごして出会わないこともありました。

双子は幾千もの時を旅しました。

そしてこの島国の海で、双子は龍として生まれました。西暦600年も後半に差し掛かった頃の話です。

龍となった双子は、様々な時代を行き来することができました。

その能力を買われて、双子は竈門山で暮らすことになりました。

特に兄はとても優秀で、すぐに周囲から一目置かれる存在となりました。龍女はいつも兄と比べられていました。兄がいなくなってからは、前にも増して他の眷属達から冷たく当たられることが増えました。龍女は聞こえないふりをして一生懸命働きました。

西暦900年が始まった頃、龍女は、太宰府で暮らす、ある男の元へ降り立ちました。

男は今にも崩れそうな屋敷で、粗末な着物を着て、日がな一日読経をして暮らしていました。

男は、元は学者であり、政治家でもあり、京都で国づくりに勤しむ日々を送っていました。その功績が認められ右大臣にまで上り詰めましたが、ある日突然、任を解かれ、半年ほど前に弟子1人子2人を連れてこの地にやって来たばかりです。

男は縁側で1人、質素な庭を眺めていました。

龍女は男性の役人の姿に変身して、男の前に現れました。

「突然の訪問をお許しください。貴方様にお伝えすべきことがあります。」

いきなり声をかけられた男は驚き、しばらくぼんやりとその姿を眺めていましたが、急に目が覚めたような顔をして役人の前に跪きました。役人が龍女であることに気が付いたのです。

2人はしばらく黙っていましたが、次第に男が怒りで体を震わせ始めました。

「失礼を承知で申し上げます。今更、何をわたくしにお伝えくださろうというのでしょうか。何故もっとはやく来てくださらなかったのですか。間に合いませんでした。もう何もかも遅いのです。」

龍女は黙って男の声に耳を傾けていました。

「何故、今なのですか。私は自分の仕事に誠心誠意取り組んできました。この国に文字通り身を捧げてまいりました。それなのにこの仕打ち。私はまったく納得できません。」

男は泣き始めました。

「しかしあの子たちは関係ありません。あの子たちはここで大変苦しい生活を強いられています。何故、神も仏も、助けて欲しいときに何も仰ってはくださらないのか。いつもそうだ。何もしてくださらない。何も。」

しばらくして、龍女は口を開きました。

「玉依姫様から、励めよ、とのことです」

男はそれを聞いてさらに激しく泣き、手当たり次第に石や草を掴んではその場に打ちつけました。

龍女は静かにその様子を見守りました。

男の名は、菅原道真といいました。

つづく

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飛梅の前世とびうめのぜんせ #1

「ぷは〜!」

梅子は抹茶碗を口から離して気持ち良さそうに叫んだ。

「好きだね、お抹茶。」

龍女は笑いながら自分の抹茶碗を口に運ぶ。これから二人は竈門山に登る予定で、時刻は朝の4時半。国立博物館跡地の近くにあるカフェで登山前の腹ごしらえをしているところである。

「この龍っていう字、ほんといつ見ても良き、ね!」

梅子は壁にかけられた書を気持ち良さそうに眺めた。120年ほど前に書かれたその字は今も活き活きと泳いでいる。龍女も書に顔を向け、相変わらず面白い字を書く人だ、と心の中で微笑む。

梅子は高校まで太宰府で暮らした後、東南アジアの大学に進学し経済学の博士号を取得。そのまま現地に滞在し、人体拡張系のスタートアップに就職した。それから数年ほど音沙汰がなかったが、「戦後処理が続いている太宰府で支援活動をおこなうことにした」「ちょっと時間ができたから、お山に行こう」と龍女の端末にメッセージを送ってきたのが1週間ほど前であった。時は西暦2130年頃。龍女は梅子と同い年の女性の姿に変身している。

「今日は付き合ってくれてほんとにありがとうね。」

梅子はへらへらと笑いながら、相変わらず龍の書を眺めている。

「やっぱりさ、この辺って相変わらず何が起こるかわかんないし、できる限り大切な人の顔は見ておきたいじゃん?行けるときに山、行っときたいじゃん?」

50年前、大きな戦争がこの辺りであった。地形は変わり、人を含む生き物と、彼らを守ろうとした神と仏、眷属がたくさん死んだ。竈門山の眷属も半分が犠牲になった。今もまだ、玉依姫様の力は完全には戻っていない。この地域一帯は危うい状況が続いている。

「そう言えば!」

梅子はパッと明るく笑って龍女の方に顔を向けた。

「すんごい面白い本を昨日、博物館跡地の倉庫で見つけたんよ!『宝満山歴史散歩(*)』っていう130年くらい前の本!一冊しかなくて今にも崩れそうだったから、ココに入れてきた。」

梅子は自身の右目を指さした。拡張してストレージ機能を持たせた右目がキラキラと虹色に光ったかと思うと、龍女の端末が震えた。「ありがとう」と言いながら龍女が端末を覗き込むと、読み込みが完了した一冊の本のデータが自動で展開された。龍女は本の表紙を見て、懐かしさからフフッと笑った。

「あれ、知ってた?この本。」

「うん、まあね。ところで目、めちゃくちゃ派手だね・・・。」

「そりゃそうよ!人生なんてね、パーッといかなきゃソンソンよ!ぱぁ〜!」

梅子は大袈裟に右目を光らせてみせた。

「あ、で、まあ、何が言いたかったかって言うと、今日の登山はこの本を読みながら登るのはどうかな〜と思ってね。なんかガイドブックみたいになっててねこれ。でもガイドブックとは違うと言うか〜。」

「良いと思う。でも本の内容と比べると、かなり地形が変わっちゃってるけど・・・」

「それそれ、それがポイントなの。何が残って何が失われたのか、まだ体系立ててデータ管理されてないみたいでね。もう50年も経ってるのに。まあ、戦争で人が減り過ぎちゃったからしょうがな」

そこまで話すと梅子は何かを思い出したかのように「あ」と声を漏らし、無表情になり、手元の空になった抹茶碗の底をじっと覗いたかと思うと、先ほどまでと別人のような顔をして龍女を見つめ、口を開いた。

「だから私がする。この本が鍵。これからのために。」

梅子”のようなもの”を龍女はじっと見つめ、またか・・・とため息をついた。梅子はいつもこうだ。いとも容易く誰かに自分の器を貸してしまう。これもある意味人助け!とはしゃぐ梅子の姿が目に浮かぶ。

さて、こいつをどうしてやろうか。食い千切るのは簡単だ。でも、今はそのままにしておく。今日の登山は二人のつもりだったのだが、まさかくっついてくる気か。少しうんざりするが、梅子がそうしたいのなら仕方がない。龍女はちらりと端末の時計を見て言った。

「そろそろ行こうか。」

梅子は静かに微笑むと、音もなく立ち上がった。

つづく

* 森弘子『宝満山歴史散歩』、葦書房、2000年

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野狐やこ #1

僕の話をどこから始めたらいいのか、正直なところよく分からないでいる。しかし、何でもいいからとにかく始めなければならない。僕は、僕という存在について語ることを僕に赦すことに決めたのだ。いや、仕方なく、そうするしかなかったと言うほうが合っているかもしれない。もう懲りたのだ。僕は僕に、懲りたのだ。

僕は野狐だ。人間の欲を貪る化け物だ。どうして僕が僕になったのかは知らない。気が付いたら僕は僕だった。僕以前の僕があったのかどうかも分からない。ただ分かるのは、僕が最低最悪のクズだってことだけだ。僕はクズだ。生まれてこなければよかった。そもそも僕は生きていると言えるのか?生きているとはどういう状態を指すのか?僕は確かに存在して「いるように見える」が、本当に僕はこの世界に居るのか?本当は僕は長い夢を見ているだけで、目が覚めれば別の何かなんじゃないか?クソが。クズな上にこんなクソみたいなことしか考えられない、それが僕だ。笑える。でも笑いたくない。

他の野狐はどうだか知らないが、僕は人間の負の感情を食べることで生きている。負の感情だったら何でもいいが、重ければ重いほど腹がふくれる。最悪だ。僕は負の感情が大嫌いなのに、それがないと生きていけない。重ければ重いほど美味いと感じるのも本当に最悪だ。本当に、なんで僕はこんなふうなんだ。もっと別の生を享受したかった。もっとこう、普通の狐とか、ああいうのがよかった。普通がよかった。なんで僕はこうなんだ。なんで。クソ、クソ、クソクソクソ。

一度、食べるのをやめてみたことがある。まあなんというか、ただ死にかけただけだった。偶然出会った他の野狐が助けてくれなかったら死んでた。でも感謝はしない。別にあれは僕のことなんかどうでも良くて、ちょうど取り憑いていた人間をもっと落とすために僕を利用しただけだった。あれは野狐の鑑みたいなやつだ。あの時、もし僕があと少しだけ弱っていたら、あれは人間と一緒に僕も食うつもりだったに違いない。絶対に関わっちゃいけないやつだ。物心がついてから色々とヤバいやつを見てきたが、あれはなかなかだ。あの時の僕、あんなのからよく逃げ出せたな。人間はあれと対峙できるのか?まあ、ほとんどは無理だろうな。ほら、こうやって僕はすぐ人間のことばかり考える。何故だ?人間は僕にとって食材(負の感情)を提供してくれる畑みたいなもんでしかないのだが。そのはずなのだが。なんか疲れたな。

そういえば龍女が京都から来たおっさんを泣かせていた。あいつは本当に言い方をもっと考えたほうがいい。本当にあれで伝わると思ってるのか?あれでも神の使いなんだろ?下手すぎないか?僕のほうがもっとうまくやれる自信がある。というか野狐は人心掌握が得意だ。そうしないと飯にありつけないというのもあるが。僕だったらあの手この手であのおっさんの弱みにつけこんで、周りの人間も巻き込んで、ぐちゃぐちゃに掻き回して、孤独にさせて、ありえたかもしれない未来を全部放棄させてやる。いや、本当は嫌いなんだ、こういうこと。信じてくれ。でも、僕の欲望が僕の理性を超える瞬間がある。僕は文字通りただの化け物になる。もうやめてくれ!死にたいけど、死にたくない。死にたがりの、生きたがり。もう消して欲しい。僕を、はじめからそんなものはいなかったのだと、僕という存在を、この世から、誰か。

つづく

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